福島第一原発に近づける限界・富岡町に14日、入りました。そこに広がっていたのは、2年前の3月11日から全く止まってしまった時間と街でした。
「収束」ほど遠く


津波で壊され流れて道路を塞いだ家
 
 3月25日から楢葉町と原発10キロ圏内の富岡町の一部、美しいサクラ並木が有名な夜ノ森地区近くまで、昼間だけ入れるようになりました。私は4月14日、原発事故被害いわき訴訟原告団が「限界」地点までバスを出す、と聞きつけ、無理を言ってご一緒させていただきました。
 バスは国道六号線を広野町から楢葉町、富岡町へ。原発爆発事故の2年前3月12日以降地震で壊され放置されたままの家や商店が続きます。
「あの時」から時間がとまったままの街。私は2年前の4月、いわき市の沿岸部で集落ごと津波に飲みこまれたがれきの街を目の当たりにして言葉を失いましたが、2年後も同じ光景が広がっていました。


 富岡第一小学校前(写真)の線量計は毎時3.4μSvでびっくり。国、台東区が被ばく限度としている年間1mSvに対応するのが0.23μSvですから、十数倍の線量です。駅前や商店街で、原告団の方が測ると0.6〜0.7μSvで、常時、限度を超える線量でした。宿泊を認めない「避難指示解除準備区域」の中にいることを実感しました。


完全に破壊された富岡駅

 原発事故の真の原因も炉内の状態もわからず、ネズミ一匹で冷却が不能になる。処理しきれないうえ地下まで汚染している冷却水…。「収束」などとんでもない、と頭で思っていた私ですが、富岡の空気に触れて肌で実感できました。
 広野町は昨年8月10日に、「居住可能地域」になりましたが、8か月たった今でも1一割しか帰還していません。今回入れた楢葉や富岡町南部は除染をすすめ3年以内に帰還できる地域ということですが、とてもかないそうにありません。


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