いまだに仮設住宅住まい。
暖かく足伸ばせる住宅を!

 福島第一原発事故で全町避難の浪江町。三月二十九日、町役場と二千四百人の町民が移転する二本松市を訪ねました。日本共産党の馬場績(いさお)浪江町会議員に案内していただきました。
 太平洋に面し冬でも暖かかった浪江町から、山間地で大変寒い二本松に移転。しかも町民の7割が今でも仮設住宅住まいで、外と隔てる壁が板一枚のプレハブの寒さは尋常ではありません。隣に声が筒抜けでプライバシーもありません。
 「朝、結露をふくとタオルがびっしょり。涙が出てくる」と馬場町議。一刻も早く復興住宅を建設し、町民が思いっきり足を伸ばして寝られるようにしてあげたい」。

伝統の「大堀相馬焼」の窯を再開。
「何よりも仕事がほしい」

 浪江町大堀地区は、住民のほとんどが「大堀相馬焼」という陶器製造に携っていました。江戸時代から350年前の歴史をもつこの焼き物は、焼いてできるひびが特徴で、使えば使うほどなじむ名器です。
 「相馬地方では必ずどの家でも使われている生活にかかせない道具です」と話すのは、大堀相馬焼協同組合の半谷秀辰理事長。
 原発事故により避難を余儀なくされ、25あった窯元は県内各地に散らばってしまいました。「これでは大堀相馬焼がなくなってしまう」。半谷さんたちは避難している二本松で窯を立ち上げられないかと運動。市や政府の協力をとりつけ、一昨年5月、市内の工業団地の一角で「陶芸の杜おおぼり二本松工房」を開窯しました。
 窯は鉄製で、基礎がコンクリ打ち付けられておらず移動できる構造になっており、浪江に戻れてもそのまま使えるようになっています。
 半谷理事長は「原発を再稼働させるなど、私たちを足蹴にするような国のやり方は許せない。復興は私たちも命がけ。何より仕事がほしい」と、熱を込めて訴えていました。


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