「小名浜の叔母さんと連絡がとれない。消息を調べてもらえないか」との要望で現地へ。ご無事でした。「電話も何も流されてしまって・・・」と叔母さん。早速、私の携帯で、50日ぶりに姪と叔母をつなぐことができました。(江名で)



避難所の一つ、いわき芸術文化交流館・アリオスにいる子どもたちの夏服がない…との声にこたえ、みなさんの募金で購入した子供服を80着届けました。子どもたちはみな人懐っこく、避難所の生活で人恋しいのかな、と感じました。



アリオスは立派な建物ですが、避難所の状態はとてもいいとは言えません。「段ボールの家」が中に並び(写真)、食事も搬入は一日一回・おにぎりか菓子パンにレトルトばかり(写真)で、温かい手作りの食事が必要です。



蔵前診療所の原田医師は、福島高専に避難している原発の屋内退避地域・広野町の人たちに問診・血圧測定。私は見守るだけでしたが、みなさんの明るさに逆に激励されました。




いわき市で最もひどい被害といえるのが、豊間、薄磯(写真)、江名などの南の海沿い地域。豊間中学校はバレーボール豊北大会の県代表(写真・懸垂幕)だったが、その前に被災。江名では流された家の中に女の子の自転車が・・・。無事だったのでしょうか。

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