仙台では、都市部での被災実態と、高齢者や子どもなどの避難問題などについて衝撃を受けました。4月に福島・いわき市に支援活動に行って以来の被災地で、宿題をたくさん抱えて帰ってきました。

 大地震から5か月。仙台市には基本的に一般の避難所くらしの方はいなくなっていました。

 しかし、市が受け取った6億円の義援金が全く被災者にわたっていない。生活再建支援金も4分の1にしか支給されていないなど、仮設住宅や借上げ住宅でのくらしは大変厳しいものになっています。

 地下鉄に乗り合わせた亘理町の避難者は「パート勤めだが会社から一日六時間以内にしろ、と言われ給料が激減した」と、悲痛な声をあげていました。
 高齢者や障がい者はさらに大変です。


◎高齢者と子どもの避難について

震災後、自ら手を上げ福祉避難所になり30人をうけいれた「宮城野の里」の小野施設長(写真堰jのお話はリアルで、心動かされました。

 私の大きな関心事は、阪神・中越の二つの大震災を踏まえ災害救助法で定められた「福祉避難所」が、今回どんな役割を果たしたのか、ということでした。新聞の記事で宮城野区の「宮城野の里」が多くの避難高齢者を受け入れたことを読み、訪問しました。

 デイサービス、ケアハウス、ショートステイ、地域包括支援センターなどの高齢者福祉施設です。市は「福祉避難所」は専ら特養ばかりを指定し、ここは指定されていませんでした。

 大地震当日、「福祉施設として何をなすべきか」を話し合い、避難してきた地域の方も受け入れると決め、利用者以外に26人の避難者を宿泊させました。

 その後、デイやショートの利用者で家が流されたり浸水して帰れない人、包括には認知症で一般避難所での生活が難しい人などを受け入れるため、県と市に福祉避難所とすることを求めるとすぐ了承されました。
宮城野の里の受入れ30人(家族含め34人)はダントツで市指定の指定避難所の追随を許しません。

 私は背景に、福祉避難所が法の精神・根拠にふさわしく位置づけされていないことがある、と感じました。本来なら災害救助法で支援すべき経費が結局介護保険法の枠の中に狭められてしまったなど、今後の重大な課題も見えてきました。



 仙台市が独自事業として認定する認可外保育施設「せんだい保育室」は、東京の認証保育所のようにビルやマンション内の一室に設置されています。

 青葉区の「エミール」は、園長の機転で近隣に助けを求め、保育士とサラリーマンが階段から子どもたちを避難させ犠牲はありませんでした。

 普段からの近所づきあい、無認可保育室時代からのベテラン保育士の力が発揮されました。裏に建物倒壊の心配がないビル建設予定地が「タネ地」のようにあったことも幸いしました。

 ただ、子どもの緊急時の安全について政策的課題は多そうです。


◎若林区・荒浜の津波被害

仙台市内唯一の海水浴場・若林区の荒浜。すべて波に飲み込まれ、今年は海水浴どころではありません。防風林の松も多くがなぎ倒されています。

例年の8月は海水浴客でにぎわった商店街も、面影は全くなし。店の建物の土台だけが道沿いに連なって残っていました。

◎市街地住宅街の宅地被害は深刻


▲戻る